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改行のはなし

ネットの編集・ライティング界隈に人知れず一匹の妖怪が棲み着いている。それこそが「改段落なき改行」。すなわち文章の途中であっても任意の句読点で(あるいは句読点すらなくても)行を改める表記のことである。

これはほんとうに些細で日常的な、なんのこともなく見過ごされがちな文章の書き方であるとともに、見過ごしたにしても何らかしらの問題に発展するともおもえない、平たくいうならひとつのbr要素にすぎないのだが、正面から向き合おうとするとなかなかにやっかいな側面を持っているのである、という持って回ったような大仰な話をこれからしようとおもいます。

こんにちは。はてな編集部のid:mohritarohです。最近はセブン-イレブンの「黒糖まん」がお気に入りで、駅前のコンビニに立ち寄るたびについ買ってしまいます。という書き出しを用意していましたが、本稿の執筆から公開までの間にメニューから消えてしまいました……。

……なんの話でしたっけ? あ、そうですね。改行です。

お台場(写真は原稿と関係ありません)

トラディショナルな文章の世界における改行の扱い

改行というのは、文章をこのように書いているときに、長々とずらずら書き連ねてしまうと読み辛いので(→改行が少なくて読みづらい文章の悪例、適当なところで行を改めて、行間を空けたり字下げなどを行って、新たな気持ちで文章を読ませるギミックです。

ただし、伝統的な紙の書籍の世界では、というより一般的に商用に流通しうる、あるいは学習・研究の成果等として発表される、つまりざっくり言うなら「ちゃんとした」文章においては、どこでも勝手気ままに改行をしてよいというものではありません。これはあくまで(暗黙の)ルールですが、改行は段落を改めるときにのみ行うことが原則です。

もちろん例外があり、会話であったり、引用、詩歌などが掲載されるときに、段落といえる意味のかたまりの途中であっても改行することがありますが、基本的には複数の文を連ねてある程度の長さになり、前後の文のかたまりと区別できるひとつのまとまり、つまり文章の量と意味の両面から適切な切れ目だろうというところで「改行」を行い、「段落」を分けることが文章術の基本とされています。

ただし、このルールはおもに「どこで改行するか」についてのもので、「どこで改行しないか」はあまり意識されていません。例えば、多くのニュース系メディアで表記の拠り所とされている共同通信社の「記者ハンドブック」では、改行について冒頭の「記事の書き方」で次のように記述している程度です(第13版、9ページ、【文章について】より)

3 記事はなるべく10行以内で改行し、やむを得ないときも15行を超えないようにする。文意により2、3行で改行してもよい*1。(中略)

5 かぎかっこなどの中の文章は改行しない。(後略)

このように、長すぎないように「改行して(段落を改めて)ください」というルールはあっても、意味のまとまりでもないのに「改行しないでください」ということや、文章のどこでどのように改行「しないか」については、(かぎかっこの中などの特別な場合を除き)わざわざ説明されないものなのです。

この意識の向き方は、意外に重要なことなのかもしれません。

なお、学校教育ではそういった改行ひとつを形式段落と呼び、複数の形式段落によるまとまりを意味段落ということもあるようですが*2、これからまさに形式段落ならぬ「形式改行」と言うべきものの話をしようとしています。じつに用語が面倒ですね。

好きなところで「改行」するインターネットでの会話

前節で述べたように、紙の書籍や論文などでは一般に、行末まで改行しないで書き進められ、用紙の端まできたら折り返して行頭から書きつなぎます。

ところが最近では、大学でICT教育の一環として(Microsoft Wordのような)文章作成ソフトウェアで学期末の「レポート」を書かせると、行末まで書いたら(ソフトウェアの機能として)自動で折り返されるにもかかわらず、適当な句読点の位置で自分で「改行」を入れる学生がかなりおり、わざわざ「改行しないでください」と指導しなければならないという話を、大学教育にかかわる知人から聞いたことがあります。

そんなラフな体裁のレポートを提出できるのもすごいなあ、というな印象があるのですが、そういった感想は、紙ベースのちゃんとした文章にたくさん慣れている世代だからこそ持つのであって、学生の方々にとっては自由に改行した自由な体裁の文章により親しんでいて、そういう文章の書き方を自然としているにすぎないということなのかもしれません。

これは学生に限ったことではなく、いまや私たちが日頃から接している執筆環境、つまりインターネットのチャットや掲示板、SNSやメッセンジャーでのやりとりにおいては、おもいつくままに書き、おもいつくままに区切って、1行あるいはもっと短い言葉の固まりを「投稿」しています。わざわざ長文のテキストを書いておきながら、Twitterの文字制限にあわせて分割して「連投」する人さえいます。

このとき「段落」という意味のまとまりを意識することはあまりありません。むしろ、こういった言葉がほとんど「会話」であることを考えるなら、書き言葉の世界に「話し言葉」が混ざってきているとも言えるでしょう。改行には意味があるというこれまでの常識を離れ、日本語の書き方を「話し方」として身に付ける、新しい文言一致が起きているのかもしれません。

ここで、同じように次の行に進むものながら「改行」と「折り返し」を区別していることにご留意ください。本稿においては、ひとが「ここで行を改めたほうがよさそう」と自分の判断において次の行に進むことが「改行」であり、用紙サイズやWebページの表示領域などの外部的な制約によって次の行に送られてしまうことを「折り返し」とします。

ネットにおける文章のリテラシーはデバイスの制約をうける

先ほど紹介した、レポートの途中で自由に改行を入れる話に、最近の学生は「リテラシーがない……」と嘆かれた方もいるでしょう。

一方で、電子メールをやりとりする際に、段落中に改行をまったく入れず、アプリの折り返し設定にまかせたメールが届いたなら、これまた「リテラシーがない……」と嘆かれるのではないでしょうか。電子メールでは一般に、ページの幅いっぱいに文字を書き連ねるのではなく、適度に改行を入れることがマナーとされています*3

同じように文章の途中で改行を入れる動作でありながら、文書作成ソフトにおいては入力領域の幅いっぱいに使うことがリテラシーであり、メール作成ソフトにおいては入力領域の幅いっぱいになる前に改行を入れることがリテラシーである、という分裂的な状況はいったいなぜ起きるのでしょうか?

考えられるのは、文書作成ソフトでは適度にレイアウトを行ってくれますが、電子メールはいわゆるプレーンテキストにより近く、レイアウトの面においてデバイスの制約をそのまま受けてしまうことです。表示領域の折り返しに従っていては、文字がビッシリと敷き詰められた、たいへん読みづらい文面になってしまいます。

かつてコンピューターの画面といえば、いまのようなグラフィカルなインターフェースはなく、アスキー文字を1行に80文字、それを20数行表示できる固定サイズのターミナルが一般的でした。文字サイズも行間も調整できず、画面に文字が表示されるというだけで革命的であった時代、読みやすさをうんぬんすることは贅沢だったはずです。

その制限が、グラフィカルなインターフェースにおいてもそのまま古典的な表示として受け継がれた面は否めないでしょう。いまでも、テキストやメールをただ書くだけのエディターでは適度な横幅や行間が初期状態で設定されておらず、端から端まで埋めていくと文字ばかりで辟易することがままあります。

そういった「ターミナルの限界」から、メールの書面を適切にレイアウトしなければならないという必要があり、改行を入れるマナーになっていったのではないかとおもいます。

また、相手のメールを引用して返信する際にも、適度に改行されていなければ引用記号がうまく表示されず、たいへん扱いづらいといった事情もあります。

HTMLでいうblockquoteなどがサポートされれば、適切に字下げして表現できるはずですが、1970年代からの伝統にのっとって、電子メールでは基本的にはプレーンテキストを扱う文化で発展してきました。そういうコンピューティング環境の未熟さが、本来なら不要な改行を強いる要因となったのでしょう。

もうひとつ、古典的なターミナル環境と並んで、(日本の)ひとが文章を書くふるまいを規定してしまったものとしていわゆるガラケー、つまり1999年に開始されたiモードによって始まった携帯メールや、携帯電話端末でのWebブラウジングの普及もあるのではないかと考えられます。

とくに、著名人・有名人ブログなどで顕著に見られる、文章を短く改行して、さらに行間を何行も開けるような書き方は、ガラケーでのWebブラウジングを前提として書かれたものではないかと想像するのですが、実際のところどうなのかは有名人ブログについてより造詣が深い方の意見を伺いたいところです。

また、コンピューターゲームのメッセージ、とくにロールプレイングゲームなどで、ある程度の長い文章を低解像度の画面で読ませるために生み出された工夫が、それを楽しんだ世代に与えた影響も、ひょっとするとあるのかもしれません。

2つに分離した「改行」と忘れ去られる「段落」の意義

とはいえ、ひとの執筆環境がデジタルデバイスに移行し、ワードプロセッサやテキストエディターを利用するようになり、いきなり改行の「常識」が変化したわけではないでしょう。チャット、掲示板、メッセンジャー、SNSなど、文章で「会話」して「好きなところで改行する」ことが徐々に増えるにつれ、テキストエリアでの「改行」が2つに完全に分裂することになりました。

つまり、旧来的な「意味の区切り」としての改行(=段落を改めること)と、本稿で取り上げているような主にレイアウト的な目的によって「自分が好きなところ」で入れられる改行です。HTMLについて知っているなら、なるほどp要素とbr要素のことだな、と思うかもしれません。

ただし、ここで考えておきたいことは、旧来的な紙の世界ではpこそが改行であり、brによって改行することは特別なレイアウトだったということです。

しかし、いまやネットの世界ではbrによるものが改行であり、pは普段ほとんど意識されないものになっています。むしろ、改行とは別のものとして「改段(改段落)」と呼ばれるようにすらなっています(この用語で検索すると、改行と改段の使い分けのノウハウや「ビジネスマナー」を紹介したライフハック系のサイトやブログがたくさん見つかり、市民権を得ていることがうかがえます)

携帯電話が普及したあとの「固定電話」や、スマートフォン普及後の「ガラケー」と同じようなレトロニムとも言えますが、面倒なことに「改段」は出版ですでに使われている用語です(段組みのレイアウトで段を改めることを指します)

そこで本稿では、先ほど少しふれた「形式改行」という用語で段落中の任意のbr改行を表し、従来のp改行を「段落改行」と呼ぶことにします。改行と「折り返し」を区別するとも書きましたから、まとめると次の3つになります。

用語 説明
形式改行 段落中の任意の位置で、主に読みやすさを考慮して書き手が入れる改行。
段落改行 段落の区切りでの改行。従来の文章でふつうに「改行」と呼ばれていたもの。
折り返し 書き手の意思と関係なく、紙幅やページサイズの限界によって起きるもの。

インターネットで文章を書く機会が増えたいま、旧来の「折り返し+段落改行」の原則に沿った文章を書くことが減り、形式改行ばかりでテキストを書くようになっています。旧来の原則が原則として成り立たず、旧来の常識は(ちゃんとした書籍の世界というサークルに閉じた)少数派になりつつあるのかもしれません。

ポエム化する日本語

ここまで日本語の「ちゃんとした」文章は用紙や表示領域の端で「折り返す」ほかには、段落を改めるまで改行しないものだという前提で書いてきました。しかし、日本語のちゃんとした文章であって、行末に達していないにもかかわらず頻繁に改行する文章があります。それは(ポエム)です。

そういう意味で、インターネットに流れている言葉のほとんどは形式的にポエムだといえるでしょう。2ちゃんねるのコピペ、ツイートまとめ、細切れに改行される有名人ブログ、はてな匿名ダイアリー。そういったテキストをすべて、散文詩だとみなすことができます。

興味があれば「縦書きツール」などで縦書きにしてみてください。ふだんとは違った味わいがあり、エントリーによってはまったくの「詩」となっていることに驚かされるでしょう。

私たちは段落の途中で形式改行するとき、そこに感情の変化を織り込んでいるのではないでしょうか。つまり、形式改行とは、情感に訴えるためのテクニックであり、むしろ形式などではなく本来的な意味においてポエムなのではないかと思えるのです。

そうであれば、これを読者の心を動かす記法として、積極的に利用していくことも可能でしょう。具体的に例示するなら「ほぼ日刊イトイ新聞」において、おそらくそういった効果が働いているのではないかとおもいます。

ほぼ日刊イトイ新聞1101.com

このサイトでは、たいへんに真面目な話、シリアスなインタビューであっても、適度に明示的な形式改行をいれた短文を、ゆったりとした行間で読ませています。これは、文書の内容、書かれている意味を理解してもらいたいだけでなく、対話がなされている場の雰囲気や、そこにおける参加者の気分まで共有させたいという姿勢の表れではないかとおもうのです。

糸井重里さんは、自身のツイートなどネットで発表した文章をまとめた書籍をいくつか出されていますが、先に書いた「形式改行の縦書き」でほとんどの文章が構成されており、書籍全体としてエッセイや警句集というより、詩集のような雰囲気があるのです。

こういった試みを見たときに、形式改行の存在をただ段落と改行の混乱というネガティブな側面ばかりでなく、ネット時代の新しい表現技法のひとつであると捉えることもできるということに改めて気付かされるのです。

ネットの編集者として改行にどのように取り組むべきか

形式改行を一種の文体として積極的に活用することは新しいことではなく、Webの黎明期からあります。例えば、1995年に開設された「貞奴」などが最初期のサイトに挙げられるでしょう*4

貞奴sadayacco.com

また、いわゆる「テキストサイト」と呼ばれたサイト群でも、フォントのサイズや色を変更し、読ませ方やレイアウトまで工夫したエントリーが書かれており、現在でもその影響を受けたサイトやライターの方々によって、形式改行と画像を組み合わせ、行間を利用した表現が試みられています。

一方で、あくまで旧然とした段落改行と折り返しの原則に従い、さらには段落間もマージンではなく字下げで整えるスタイルで文章を書いているサイトもあります。

つまり、インターネットにおいて人にどう読まれるかを意識するのであれば、形式改行を積極的に利用するにせよ、排除するにせよ、その表示に対してより自覚的にならざるを得ず、レイアウトまでも含めた文章の「空間を編集する」ことが、現代のWeb編集者には求められているのです。

とはいえ、執筆いただいた原稿に形式改行と段落改行が無意識に混在されていたり、PCで読みやすかった形式改行がスマートフォンではかえって読みづらくなったりするとき、何をどこまで修正すればよいのか? にただ悩むということもよくあります。

はてなでは、改行や行間への新しいアプローチをともに模索し、Web編集における知見を共有したい編集者を募集しています。

hatenacorp.jp

おまけ

本稿では「改行」のWebにおける現状を簡単にまとめてみましたが、そもそも「文章を読みやすくするために改行する」という作法はいつごろから始まったものなのでしょう?

例えば江戸時代に書かれた絵巻の画像などを見ると、(段落の切れ目を意味する)改行も句読点も見当たらないまま書かれており、これらは濁音の記号などとともに現代的な近代になって使用されるようになった表記の技術ではないかということがうかがえます。

与謝蕪村の筆による「奥の細道画巻」(出典 Wikimedia Commons

また、手書きの張り紙などでも紙幅いっぱいではなく形式改行したものを見かけますが、なんとなく増えているようなきがするのですが、実際にはどうなのかなども気になってるところです。こういった改行文化について詳しくご存知の方がいればぜひお教えください。

なお、余談ながら、それについて参考書がないものかとAmazonで「改行」を含む書籍を検索してみたところ「開業」の本がたくさん並び、世間のみなさんは文章よりも事業のほうに興味があるというごく当たり前の知見が得られました。そんなこんなですが参考文献をいくつか挙げて終わりたいとおもいます。最後までお読みいただきありがとうございました。

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※本稿は執筆者の要請により、いわゆる表記の統一を行っておりません。ご了承ください。

*1:この直前の項目で1行11字組みを原則とされているので、通常は110文字、多くて165文字で1段落となります。これがTwitterのツイートの制限に近い文字数なのは、おもしろい偶然です。

*2:http://www.t-gungun.net/shiryoshitsu/youten/kokugo1/16.html などを参照

*3:http://shuchi.php.co.jp/the21/detail/2490 などを参照

*4:書籍『教科書には載らない日本のインターネットの歴史教科書』では、日記サイトからテキストサイトへの転換点となったサイトとして紹介されています(114ページ)。